今日は、久々に何も予定のない休日。
こんな日は、お抹茶を点てていただくことにしよう。
日曜日のお稽古後に持って帰ってきた京都宇治茶の上林茶舗「玄中の昔」が手元にあったので点ててみる。
まずは薄茶。
きれいに点った。正座して一服頂く。何かが違う。
同じお抹茶なのに、いつものお稽古の時に頂く方が断然おいしい。
なぜ?
お稽古場と自分の部屋との違い‥‥
「明かり」だ!
それに気付いた私は、部屋の電気を全部消し、窓から差し込む光だけの中でもう一服点て、飲んでみる。
お抹茶のふんわりした舌触り、ほどよい苦味がカラダに心地良く広がっていく、青空の下で美しく輝く茶葉の姿を想像する‥‥
同じ分量で同じように点てた一服も、部屋の明るさだけで全く違う味に感じられた。
その後お濃茶を練る。
お濃茶は通常3~5人で一碗を飲み回す、格式高いもの。
薄茶の場合は茶杓に2さじ程のお抹茶を茶筅で泡立てるものだが、お濃茶はその2~3倍の分量×人数分に、お湯を注ぐため、点てるというより、まさに「練る」お抹茶なのだ。
しっかり練られたお濃茶は、「てり」が美しく、食感は(かなり語弊があることは覚悟の上で)、ポタージュスープのようなモッタリ感。
今日は贅沢に3人分くらいのお濃茶を練り、一人で味わう。
こんなにお抹茶を頂くと、カラダ全体が浄化されたような気持ちになる。
最後に冷水で薄茶を点てて、スッとカラダに冷たい風を送り込む。
すばらしい一日が始まるという幸福感に包まれた。
暗い室内では、視覚から得る情報が少なくなる分、口、耳、手、肌から得られる情報に敏感になる。
茶室には明かりがない。
冬の夕刻過ぎから始まる、夜咄の茶事では、和蝋燭が灯される。
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなる事と知るべし」という一説が利休道歌にある。
茶室、点前、お道具など、あらゆるものが考案された背景。
それは一服のお茶をのむため、ただそれだけ。
nobuさんがコメントしてくれた!
見ててくれたのね、心より嬉しいです。
nobuさんからのアドバイスが、そこここに実践されていることにお気づきでしょうか?
気長に続けていこうと思いますので、たまにはのぞいて下さいね!
見てた、見てた。
雰囲気でてきたよねえ。
たのしいよ。
最初コメントしにくかったけど、
あんまりおいしそうだからさ。
気長にがんばれー。
Posted by: nobu : May 24, 2004 11:00 PM