飯碗
汁碗 白味噌仕立て 粟麩入り
向付 鯖の酢〆
煮物碗 蓮根もち 生姜添え
焼物 鯵の竜田揚げ
小吸物 梅肉
八寸 海の物 鮎の甘露煮 山の物 ししとう
湯斗
香物鉢
主菓子 銘 菊の露
濃茶 茶銘 喜雲 詰小山園
干菓子 銘 さなづら 秋田榮太楼製
薄茶 茶銘 万風の昔 詰辻利園
秋のまぶしい陽射しが麗しい、とっても素敵なお茶事でした!
今日勉強になったこと。
○お茶事は名器を持っていなくとも、最低限の道具が揃っていれば開くことができる。
○お茶事のお懐石は高級な食材を使うのではなく、旬の食材を使う。
○お膳の幅は1尺(33.3cm)。このお膳の幅より体がはみ出すようでは太りすぎ。
お茶事は自分がどの位置に席入りするかによって、動きが全く変わってきます。今回は次客として入ったので、「千鳥」といって、ご亭主に盃をすすめる役目を初めて経験しました。話題はもちろんそこにいる人たちによって千差万別。楽しみは無限の広がりです。
中置の季節。
風炉から炉へと移っていく過程。
10月の中置の季節には風炉の位置が畳左側から正面へ移ります。
そんな時期に使うのが、五行棚というお棚。
陰陽五行説から玄々斎が考案されたお棚。
木火土金水。天板と地板の間に、木は竹の柱、火は炭、土は灰、金はお釜、水はお釜の湯。全てが棚の中に凝縮されています。

この度の花月研究会のために2ヶ月間お稽古をしたのは、七事式の一つ、且座(しゃざ)。
且座では5人皆が役割をもっている。正客は香をたく。次客は主の求めに応じて花を入れ、三客は炭をつぐ。東は亭主の役で、客に対してそれぞれに所望の挨拶をして濃茶を練り、半東は給仕役をし、薄茶を点てる。この役割はあらかじめ決められている。
且座とは、日本仏教の根本思想にまつわる語句とされている。宇宙万法は各々その位するところに住して(とどまって)いる、例えば山は高くそびえ、水は長く流れるというように。それが自然の道理。そしてその自然の道理にしたがって守るべきことはきちんと守っているのが自然の相であり、点前を通して自然の法則、不変の真理を学ぶという思想が、且座にはこめられている。
各自が「山は是れ山、水は是れ水」と、在るべきところ、守るべきところをきちんと守って最後まで責任を全うしていく。
しっかりと稽古を積まねば到達できない、とても大切な花月之式なのである。
私はこの度、次客を担当。朱塗りの手桶花入に涼しげな白の鉄線(てっせん)を入れました。
この写真は、その時生けた鉄線を自宅へ持ち帰り、もう一度生けなおしてみたところ。
掛物
女郎花 咲きたる野辺を 行き廻り 君を思ひ出 た廻(もとほ)り来ぬ 大伴池主
茶杓
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 藤原公任
今夜はこんなおもしろい夜咄茶会に行ってきた。
まずは、幸田弘子さんによる樋口一葉「おおつごもり」の朗読。
和蝋燭のわずかな明かりのみの広間で、一同耳をすまし、一葉の朗読を聞きすごくいい雰囲気。
朗読が終わると障子が開け放たれ、明かりがつき、外のお庭でなんと、「吉祥かっぽれ」が始まる。
ねじりハチマキに、半被をきた福福しい笑顔のおじさんが「そーれかっぽれかっぽれ!」と踊るその様は爆笑もの。戯れ事ではあるが、歳の瀬をハッピーに行きましょう!というメッセージがうれしい。江戸時代の大晦日はこんな感じだったのかなぁ。
その後、温かいかぶら蒸しと、年越しそばを頂き、茶席へ。
お菓子は「こころみ餅」。お正月に頂くお餅を、大晦日にこころみる、という意味で、お餅につぶ餡を包んできな粉がふられた、この時期にしか頂けない素朴なお菓子。
お道具も達磨や寒菊や暦など、季節感たっぷり。
男性が多いお茶会だったせいか、ご亭主と正客のざっくばらんな会話はそばで聞いているだけで楽しい。
「古いのとか、ひんまがったのとか、ひびが入ったのとか、そんな道具ばっかりですなぁ。ワハハー」
とか、始終笑いモード。
男性のお茶、かっこいいなぁ、いいなぁ本当に楽しそう男の人に生れたかったなぁ。
私が入門前に持っていた茶道のイメージは、オバサマたちばかりで、やたら堅苦しいもの。
でも実は男性が主役な世界で、とっても和やかで、みんなおしゃべり大好きで、そこらに知的好奇心をくすぐるものがゴロゴロしている。
ほら、ゲームのスーパーマリオとかドラクエとかね(古い?)、隠れキャラとか隠れコインとかあるでしょ?あれ、攻略本読まなきゃ絶対わからないでしょう。わからなくても最終ステージクリアできるけど、攻略本全部読んだら違う楽しみが出てきたりして、かえって全クリアに時間がかかることもあるけどそれが楽しい!みたいな。
語弊は多分にあるが、丁度そういう感じかなー、と思います。
チャールズ・ラム氏の語る茶道の真髄
「ひそかに善を行なって、偶然にこれが現れることが、何より愉快である。」

左から。富貴草、柚子、初霜。
広島土産に知人よりいただきました。
12日は炉開き、茶道の世界のお正月。
色無地という、無地に家紋の入った正装でみんな集合します。
先生にお包みするのし袋には、「寿」、そして、揃ってみんなで「おめでとうございます」。
炉口から洩れ出る炭の暖かな光。釜からのぼる湯気。
そしてその日のお掛物「分縁恵」。
えにしの恵みを分かつ。
禅語か、漢詩の一部と思われます。
恵まれた縁に感謝をし、自分だけが満足するのではなく、それを他の人と分かち合えるよう努める。という捉え方はいかがでしょう。

喫茶いたしましょーー。
三、四口で、最後はすっと吸いきるのです。
おいしく点てるには、お抹茶の量とお湯加減が肝要。
ぐるぐるかき回すのではなく、お茶碗の真ん中で縦一方向に茶筅をふる。
しばらくすると、茶筅がフッと軽くなる瞬間に出会います。
あとは「の」の字を書いて泡を真ん中にふんわり寄せれば。
はい、結構なお点前で。
【朝茶事】 午前6時席入
待合 冷たい梅酒 ベネチアングラス
飯碗
汁碗 蕪 白味噌仕立て
向付 胡瓜白和え
燗鍋 新潟 出羽桜
飯器 しそ飯
煮物 温玉子豆腐 人参・蕪を添えて
小吸物碗 待合で出された梅酒の梅を出汁に使った吸物
焼物 ☆鮎の白焼き
八寸 海の物・サーモン巻 山の物・ししとう
香物 沢庵・しば漬・糠漬・海苔佃煮・小玉葱漬
主菓子 社中手製・葛桜
干菓子 俵屋吉富 貴船の彩(いろどり)
お茶銘 瑞雲 小山園
今回のお茶会ではお運び(お菓子鉢、お茶碗、茶巾台をお客様に運ぶ人のこと)をさせていただきました。
お運びはとにかく足運びが難しい。一般的な和室にある関東間(ま)の畳とは違って、お茶室には京畳(きょうだたみ)が敷かれています。88×176cmの関東間に比べて、京畳は95×191cmと、縦横ともにひとまわり大きいのです。
普段のお稽古場で関東間の畳に慣れている者にとっては、歩幅の調節が難しい。
調節、というのも、決して畳の縁(へり)は踏んではなりませぬ!だからなのです。
「歩き方」秘密の大特訓を、お稽古終わって静まる道場で延々と繰り返し、今回の茶会に臨んだわけです。
それを指導してくださったのが、茶道と同時に、能楽のお勉強に精進されていらっしゃる方。
お能独特の足運び、実は茶道の足運びもほとんど同じということ。常につま先に緊張を保ちつつ、よく見るとすり足ではないのです。
文字で説明するには難しいのですが、なんとも美しく、自然な歩き方。
真似しようとして、逆に不自然な歩き方になっている私に、「20年修行すれば身につくよ」と笑ってフォローして下さいました。
お茶のお稽古って、始める前は、ただいろんな種類のお茶の点て方を教わるだけなのだと思っていたけど、それ以外に学ぶことが膨大に存在します。
歩き方を指導してくれた方が、こんなアドバイスを下さいました。
「 全部を学ぼうとしても、お家元だって絶対無理なんだ。
何か一つ、料理でも、茶碗でも、お菓子でも、書でも、なんでもいい。
一つ自分の好きなことを追求しなさい。
食べることが好きなら、とにかく諸国のうまいものをさがせ。
茶碗が好きなら世界中の美術館を見てまわれ。
私は能楽が好きだから、能楽を一生懸命勉強した。
お茶とは関係のないことと思ったけど、一生懸命やってた。
そしたら、いつかそれがつながる時がくるんだ。
自分の得意分野を磨いておけば、必ず、いろんなものと結びついて、想像している以上のものが生まれるから。
茶道は懐が深い。
必ず自分を受け止めてくれる。
だから私は誰が何と言おうと、お茶が好・き・だ!」
茶の湯とは ただ湯をわかし 茶を点てて 飲むばかりなる ものと知るべし
この利休百首の一葉は、そういう、いろんないろんなありとあらゆる稽古を身に付け、極めた方が、その先に見るものだと思います。いろいろ経て、この言葉を実感できるのは何十年後のことでしょうか、楽しみです。
突然の雨に降られながらも、何とか無事支部茶会を終えることができた。
400人のお客様に、お濃茶を差し上げる。
お濃茶はお薄にくらべて練るのに時間もかかるし、扱うお茶碗の格だってお薄に比べて何倍、何十倍、高価。お道具も同様、いちいち格が求められる。
格式高い席だからこそ、私のお得意「うっかり、ご愛嬌。」では許されない。
このお茶碗を欠いてしまったら、命でもって詫びるしか…と震える手を抑えながらのお運び(お菓子鉢、お茶碗、茶巾台をお客様へ持っていったり下げたりする役)。
お運びは、替え足袋を2、3足持ってくるのが鉄則。お客様の前で座って礼をすることが多いので、足袋の裏が少しでも汚れたらすぐに履きかえられるように。
立ったり座ったり、お茶碗を出したりひいたり、簡単なことのようだけど、一席に40人いるお茶室の中で、無駄なく、機転を利かせながら動くことは難しい。この動きで、どれだけその人がお稽古を積んでいるか、お茶事経験が豊富かが、すぐわかる。素人の目にも、その違いが歴然としていることはわかると思う。
2ヶ月にわたり、付け焼刃で練習はしたが、自分の至らなさをつくづく実感させられた一日だった。
今日のお菓子は源太さんの「薫風(くんぷう)」。くずでえんどう豆を包んだもの。
お豆のグリーンにくずの薄いベールがきれいにかぶさって、隣の方と顔を見合わせるくらい美味でした。写真は残念ながら…。
まだまだ続きます。愛知の名菓たち。
こちらは来週の支部茶会で使う予定の、松華堂菓子舗「あがり羊羹」。
「あがり」の由来は、江戸時代に尾張徳川家へ御用の品として献上されたことからきています。水羊羹と蒸し羊羹の中間のような柔らかな食感で、少しういろうにも似ています。
これに山芋をすりつぶして蒸した薯藷と組み合わせるよう、先生が注文なさったもの。
少し夏を先どって、清涼感を演出です。
灰匙(はいさじ)を、お稽古場の方に京都で買ってきてもらいました。
銅がピッカピカ、うれしぃぃぃ!
5月から始まる風炉の季節には、「灰形」といって灰をきれいに山の形に作ってそこに炭をおこします。この灰匙の、持ち手の角度を曲げたり、面をトンカチで叩いて平らにして、きれいな灰形を作るため自分の使いやすいようにしていくのです。
今まではお稽古場にあるものを使わせていただいていたのですが、いよいよこの5月からマイ灰匙です!
灰形はお稽古日毎に、最初に作るもの。1回作ってしまえばその日1日はずっとそのままです。だから灰形のお稽古をしようと思ったら、1番最初にお稽古場にいなければできません。
とにかく早起きをして早くお稽古場に行って、灰形を練習できるチャンスを自分で奪い取らねば、いつまでたってもできないまま。
土曜日のお稽古、ついハナキンにはしゃぎすぎて二日酔い…、になってる場合じゃないっ!
遅ればせながら1月9日、稽古初めのご報告です。
茶室には新年にふさわしいお道具が誂えてあります。
床の間には「結び柳」といって、六角柳を大きく結んだものが掛軸の横にかけられています。
旧年と新年を無事に結んでゆくという意味の、おめでたいお正月飾りです。
今年の帛紗と御扇子。
酉年にちなんだ、美しく、かわいらしいお道具がたくさん並ぶなかに、兎のお茶碗もあったのでなぜだろうと、考えてみる、答えは出るわけもないが。
後で他の方に伺ったところ、向かい干支といって自分の真反対の干支(7つ先の干支)は自分とは正反対の性質をもっている守り干支とも呼ばれ、人間同士の相性も向かい干支の人とはとても良いし、向かい干支の置物を置くことはゲンかつぎになるとのこと。
そう言われてみれば、酉年の私、大先生は兎年、母親も兎年だ、2人とも私のことを守ってくれているなぁ~、大納得です。
さて、この日のお稽古で使っていたお香合がとても興味深いものでした。
御銘は、「翁の能面箱」。
能には、おめでたいお正月、年に一度だけ舞われる「翁」という曲があります。
「翁」は古来から「能にして能にあらず」といわれ、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈る祈祷のかたちを表現した、他の曲とは別格として扱われている曲。
この曲はいろんな意味でとても特殊で、普段ならば楽屋に置いてある能面箱が、舞台の上に登場してきます。
曲中に、この能面箱から取り出した翁の面をつけることで、大夫(シテ)が人間から神へと変身し、神の舞いが始まる、といった流れです。
この曲の大切な小道具である能面箱を、香合として小さく手のひらサイズに作ったものを、お正月のおめでたい茶席に誂えたというわけです。
この香合を見て、「わぁ、おめでたいですね。今年は世界が穏やかで豊かな年になってくれればよろしいですね。」とすぐに応じられたら、かっこいいな。
冬の薄暗いお茶室、お釜の下から洩れ出るほの赤い光とあたたかさ、香の広がり。
炭は、茶室の明かり、温度、香り、そして何より大切な、ただ一服のお茶にとって、なくてはならないものです。

その大切な炭を守るため、3月にチャリティー茶会が明治神宮にて開かれます。
このお茶会の一メンバーとして、主催の先生から拝聴した話をここに載せようと思います。
炭は、くぬぎの木から作られます。
数十年前、杉をたくさん植えるよう国の政策が林業へ介入するようになったことを発端に、くぬぎ林はめっきり減少してしまいました。ただでさえ、くぬぎは下狩りなど、たっぷり人が手をかけないと育たない、難しい木。その上、節や枝がない部分しか、茶道用の炭として使えないので、くぬぎの原木林のうち茶炭に適用する比率は現在0.17%。
そして、モノとしての希少さのみならず、茶道炭への加工過程は、とてつもない過酷な重労働。手間と時間と熟練の技が必要です。(詳細はこちら)
熟練の技を持った職人たちは、もはや80歳を超えたご老齢の方々ばかり。
その方々の息子、孫世代は、茶道炭は労力に見あわない、もとがとれない、というごもっともな理由から、後継しません。
くぬぎの木から、茶道炭を作るより、しいたけを栽培した方がよっぽど儲かるとのこと、後継者がいないのも避け難いことです。
このままでは、茶室から炭が消え、電熱式釜になる日もそう遠くない、本当に。
現在は、どのようにして茶道炭が守られているのか?
ご老齢の職人さんたちに指示を受け、ボランティアの方々が尽力なさっている状況です。
今回のチャリティーは、ボランティアの方々の育成、組織化を支えるために行われます。
古くから茶道炭の多くが、千葉県の佐倉炭と大阪府の池田炭を使っていました。
事実、佐倉炭はもう世から消えてしまい、手に入りません。池田炭も現在製炭者数はわずか5名のみ。残りは中国から輸入していましたが、去年の10月、中国側が森林の乱伐を防ぐため、木炭の禁輸に踏み切りました。
国産より質は劣るが安価な中国産までもが手に入らなくなる、大変厳しい現状です。
これを受けて、国内における、新たなくぬぎ林造林が、行政レベルで検討され始めています。着火性から、菊模様の断面に代表されるその美しさ、香りまで、まさに芸術品である茶炭を守り続けたい。
真っ黒な炭が芸術品だなんて、ちょっと不思議にお思いでしょうか?
茶道の正式なもてなし、お茶事では、「炭点前」といって、炭をつぐところを客人に見せます。今でこそ流派で炭の組み方は統一されていますが、昔はそれぞれ個人がいかに火を熾すか工夫をしていました。それを客人みなで拝見して、その組み方の美しさや工夫を楽しむ。
ここまで徹底した美意識って、日本以外にはありえないでしょう。
私は、この炭点前をお稽古させて頂くようになってから、はじめて茶道がとんでもなく奥深いことに気付きました。だって、すごいんですよ。炭を熾した後、燃え残ったものは次の下火になるし、灰は水にさらして手揉みしてまた次の灰形に使ったり。
お家元のところには、何百年も前から代々大切に循環させてきた灰が、今も使われているんですよ。日本ってすごい!!
おっと、つい熱くなってしまいました。
兎にも角にもこのすばらしい日本文化の結晶である炭を、その循環を絶やしたくない。
そんな思いでいっぱいです。
もっともっと茶の道を勉強して、茶道炭を守ることにつながる何かができたらな。
11月最初のお稽古日は、お弟子さん全員が集まって炉開き。
茶道では炉の開かれる11月が一年の始まり、お正月。
だから着物も、茶席において、正装にあたる色無地(絵柄のない着物地に家紋が刺繍された格の高いもの)を着る。
そして、大先生が一番初めに、炉の開かれた茶室でお点前をなさる。
大先生のお点前を拝見することができるのは、一年のうちでこの炉開きの時、一度だけ。
貴重な貴重な日なのである。
緊張した30分弱の時間が過ぎたら、ふっと場の空気がやわらかくなり、次々と皆で順番にお茶を一碗ずつたててゆく。
この時に必ず出されるのが、こちら。亥の子餅。
宮中行事に由来しているこの風習は、旧暦の10月、最初の亥の暦、亥の時間(午前9時~11時)に、無病息災を願ってこの亥の子餅を食べる。
なぜイノシシなのか?
イノシシは子供をたくさん産む動物。
安産祈願・子孫繁栄と結びつけて考えられ、古くより縁起がよい動物とされてきた。
今年収穫できた穀物(米・黍・小豆・胡麻など)を使って、イノシシの子供を思わせる丸っこい素朴なお菓子が作られる。
これを頂きながら、無病息災、この一年また新たな気持ちで茶道のお稽古に邁進できますように、と新年の誓いを心でつぶやく。
お天気が心配されたが、今日日曜日の懇親茶会は秋晴れのもと行うことができた。
前日には新潟地方を中心に、関東地方にも、大きな地震があったので、なんとなくお道具が心配。
様々な不意のアクシデント(天候、お道具損じなど)を想定し、何が起ころうとも平然と対応できる準備をしておくことは、茶道の大切な教え。
しかし、震度5の地震まで想定する人は、いかに茶人とは言え少ないだろう。
茶会当日は、大先生のご指示により、柱に掛けるはずだった花入をとりやめて、床の間に置き付けるものになった。
濃茶席に掛けられたお軸は「日々是好日」。(禅語としてはヒビコレコウジツ、と読むが茶道ではニチニチコレコウニチ、と読む。)
とても有名な禅語。毎日毎日が楽しいよね!という意味ではなく、いかなる日をも、すばらしい
日とするために努力を怠るな、という大変厳しい教えだそう。
お菓子は鶴屋八幡の「菊きんとん」。
きんとんの中でも、鶴屋八幡の玉子餡きんとんは格別。
これはまさに茶席のための和菓子。
だって、だって、この切り口の美しさときたら!
薄茶席では、
「紅葉貴花 秋景寛(ひろし)」というお掛け物(掛軸)が迎えてくれる。
このお席では、茶杓、お茶碗ともに、御銘が「雲錦」。
桜と紅葉とが一緒に描かれているもののことを「雲錦(うんきん)」と言い、春、秋ともに彩り豊かな美しい季節を愛でる意がある。
こちらは銀杏のお菓子。中には栗餡。
台風や、揺れに、心が不安になる毎日だが、「日々是好日」の気持ちで歩んでいきたい。
おかげさまで茶道体験コーナー大盛況でした。
わざわざのぞきに来て下さった方々、どうもありがとうございました。
写真が今回のお菓子でした。銀座菊乃舎の冨貴寄(ふきよせ)、素朴な「ぼうろ」のようなお味が好評だった様子。
銀座という土地柄のせいか、素敵に着物を着こなしている年配の女性がとても多くいらして、教えるどころか、こちらが勉強になった一日でした。
お点前をするのに、必ず必要な、水指というお水を入れておくお道具がある。
お茶を点(た)てる時に、お湯の温度を調整したり、点てた後に減ってしまったお釜の中のお湯を足したり、お茶碗を片付ける前に軽く濯ぐために、この水指を使う。
水指にはいろいろ形はあるが、一般的に筒状の陶器に塗りか、陶肌と同じ蓋がついたもの。
極暑の最中、お茶席で涼を演出するために、いつもの蓋にかわって葉っぱを蓋代わりにする「葉蓋」というお点前がある。
水滴をしたためた緑の葉っぱは、なんとも風流で、クーラーのないお茶室に涼風が吹きぬける。
この「葉蓋」に使う葉っぱは、青梶。
この葉っぱは、昔、宮中の歌詠みに使われていたものらしい。
というのも、青梶は水分を吸収する性質を持っており、墨でもって文字を書くことが可能な植物なのだ。
昔の平安時代?の雅人たちは、七夕祭り、真夏の川あそびで歌を詠み、それを流して遊んでいたのだそう。優雅でございますことねぇ~
というわけで、夏の葉っぱと言えば、この青梶が最も風流というわけ。
このお点前を年に一度行うために、大先生のご自宅お庭には青梶が育てられている。万が一、当日先生のお庭の青梶が、虫食いになっていたり、猛暑でシオシオになっている可能性もある。そのため、お弟子たちも青梶を探してこなければならない。
お庭のないマンション暮らしの人にとっては酷な事。
今回は免除してもらえたのでセーフだが、
最悪の場合、近所の茂みを物色して、葉っぱ探しの旅をする羽目になる。。
でも、このような格好悪い努力が、日々とってもとってもお勉強になっている。こんなところに、こんな植物が生えている、など茶道を始めるまでは目にも入らなかった。
大袈裟な言い方かもしれないが、一つの道を志したことで、世界をみる視点がガラリと変わった。
これまで幼少期より学んできたことと、自分と共に存在する世界が、茶道という呼び水のおかげで、じわりじわりと繋がり、広がっていく。
心から思う。茶道ってファンタスティック!
今月から灰形のお稽古をさせていただけることになった。
さっそくこちらで勉強中。
先ずは火をおこし、釜をかけ、それから初めてお点前ができる。
最初はお茶を点てるお稽古、その後、炭をくべて火をおこすお炭点前のお稽古。
炭にもいろいろ種類、太さ、長さ、形があって、そのくべ方も基本的に決まった形式がある。
炭点前のお稽古も何度もさせていただき、最近ではなんとか全ての炭にうまく火がまわっていくようにはなってきた。そこで、次のステップへと進ませて頂けることになったのだ。
新しいことを学ぶ機会を頂けて、正直、嬉しい。
とは言え、浮かれてはいられない。
年数を重ね、次第に周囲から頂戴するご指導も厳しくなってきたところなので、心を引き締めていかないと。
余談になるが、茶道を学んでいる人は、炭を使った火のおこし方がわかるので、キャンプに行くとちょっとした人気者になれる。ポイントは、風の通り道を確保すること!
濃茶には 湯加減あつく 服はなほ 淡なきやうに かたまりもなく
利休道歌の中には、このような実践的アドバイスもたくさんある。
あわなきように、かたまりもなく練れるようになるには、とにかく回数を重ねることが肝要。
以前、濃茶についての記述の中で「ポタージュスープのようなもったり感」という表現をした。
これはやはり語弊があり過ぎると反省。。
写真で伝わるかどうか、あやしいところだが、撮ってみた。

独特のとろとろ感を撮ろうと奮闘中、熱中しすぎて、
ポタッ
一滴こぼしてしまった!その直前の写真。

濃茶の通り道。
やはりうまく撮れなかったが、雰囲気は伝わる、かな?
お茶事という正式なおもてなし席では、すべてがこのお濃茶一服のために考えられている。
茶事の流れを少し。
来客がお腹を空かせたままこのお濃茶を飲むと、あまりの濃さに気分が悪くなってしまう。
そのために、まず最初に懐石料理を頂く。
「懐石」の語源は、懐を石であたため空腹を凌ぐ。
現在のように食材が豊富でなかったその昔、本当に石で胃を温めるだけだったかどうかは、定かではないが、今よりずっと簡素なものだったのは確か。
懐石料理といえば、そのマナーの難しさ、緻密な構成だけが、殊更にとりあげられるが、そこに真意はない。あくまでもお濃茶一服をベストコンディションで頂くための、腹ごしらえなのだ(少し極論だが)。
懐石の後、主菓子を頂き、いったん客側は退席、控えの部屋で待つ。
この間に亭主は掛け軸をはずし、茶花を生け換えて、お濃茶の準備をする。このとき亭主は着物まで着替える。たった5分くらいの間で!
そして鳴り物(銅鑼)がグワァァーンと鳴らされたら、客側は、改めて席に入る。
そこまでして臨むお濃茶。静寂、厳粛な雰囲気の中でゆっくりと練り上げられる。
これを連客みんなで、順番に飲みまわす。
それはもう、至高の時間。
最後に、干菓子が出され、薄茶が点てられる。この時には座の雰囲気も和やかになり、亭主とも打ち解けて会話に興じる。
このようにして、4時間くらいにわたり繰り広げられるお茶事。
ここには格式高いお濃茶を軸に、五感すべてを揺さ振る演出が凝縮しているのだ。
今日は、久々に何も予定のない休日。
こんな日は、お抹茶を点てていただくことにしよう。
日曜日のお稽古後に持って帰ってきた京都宇治茶の上林茶舗「玄中の昔」が手元にあったので点ててみる。
まずは薄茶。
きれいに点った。正座して一服頂く。何かが違う。
同じお抹茶なのに、いつものお稽古の時に頂く方が断然おいしい。
なぜ?
お稽古場と自分の部屋との違い‥‥
「明かり」だ!
それに気付いた私は、部屋の電気を全部消し、窓から差し込む光だけの中でもう一服点て、飲んでみる。
お抹茶のふんわりした舌触り、ほどよい苦味がカラダに心地良く広がっていく、青空の下で美しく輝く茶葉の姿を想像する‥‥
同じ分量で同じように点てた一服も、部屋の明るさだけで全く違う味に感じられた。
その後お濃茶を練る。
お濃茶は通常3~5人で一碗を飲み回す、格式高いもの。
薄茶の場合は茶杓に2さじ程のお抹茶を茶筅で泡立てるものだが、お濃茶はその2~3倍の分量×人数分に、お湯を注ぐため、点てるというより、まさに「練る」お抹茶なのだ。
しっかり練られたお濃茶は、「てり」が美しく、食感は(かなり語弊があることは覚悟の上で)、ポタージュスープのようなモッタリ感。
今日は贅沢に3人分くらいのお濃茶を練り、一人で味わう。
こんなにお抹茶を頂くと、カラダ全体が浄化されたような気持ちになる。
最後に冷水で薄茶を点てて、スッとカラダに冷たい風を送り込む。
すばらしい一日が始まるという幸福感に包まれた。
暗い室内では、視覚から得る情報が少なくなる分、口、耳、手、肌から得られる情報に敏感になる。
茶室には明かりがない。
冬の夕刻過ぎから始まる、夜咄の茶事では、和蝋燭が灯される。
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなる事と知るべし」という一説が利休道歌にある。
茶室、点前、お道具など、あらゆるものが考案された背景。
それは一服のお茶をのむため、ただそれだけ。
雪!月!花!
この季節、お稽古場からは活気ある掛け声が聞こえてきます。
茶道は一人で黙々とお稽古するもの、とお思いの方も多いのでは。
私のお稽古場では、毎年夏に、花月(かげつ)研究会が行われます。
花月とは5人で行う、七事式という茶道修練法の一つ。
七事式の説明を少し。
十八世紀前半、徳川幕府の安定にともなう町人文化の繁栄により、茶の湯を学ぼうとする人々が増加した。 三井家・鴻池家を代表とする富裕町人層 の入門は、その流れに少なからぬ影響を与えたと言える。
そういった新興茶人のために、表千家7代の如心斎天然と裏千家8代の又玄斎一燈は、古法を守りつつ新法を用いて創意工夫を凝らした。好み物は次々に考案され、その中でも特に偉大な功績とされているのが、集団で稽古する「七事式」の制定である。
七事の名は、禅の教え、「七事随身」の語に由来する。「七事を具して身に随い、以て同生同死す可し。高ぶるものは之を抑え、下る者は之を救うて狐峯に処らしむ・・・」(碧厳録第十五則)
この精神を身に付けることを目標に考案された。
七事は、「花月」、「且座(さざ)」、「茶カブキ」、「廻り炭」、「廻り花」、「一二三」、「数茶 」の七式
を指す。
参考文献:「千家七亊式」 吉田堯文著 「茶話抄」 如心斎
禅の精神を盛り込んだ七事式、
その中で代表的な花月之式は、みんなで札を引き、「花」の札の当たった人が茶を点て、「月」の札の当たった人が茶を飲む趣向で、出処進退の修練を兼ねています。
俗に「花月百遍、朧月」と言われているくらい、すなわち花月は百遍稽古して、ようやくおぼろげにわかるくらい奥深いよ、ということ。5人がどういう順番でどういう役をするか、札をひいてみないとまったくわからないので、その時々で機転をきかして動かなければいけません。
このように難しく言うと、なるほど難しいのですが、5~8人で揃ってお稽古するため、実はとても和やかで楽しいものです。
本当によく考えられていて、何度も何度もこの花月をお稽古することによって、いかなる場面においても「茶人らしい」所作、ふるまいが身につくみたいです。
今年でこの研究会も4回目。まだまだ茶人には程遠い、うっかりものです。とほほ。

日曜日お稽古の主菓子。
お弟子の一人が石川へ旅行されたとのこと、そのお土産。
「たまゆらの煌めき」石川の城下町、加賀の福文さんの棹物。
菓銘のつけ方が鮮やかということで茶席のお菓子として有名。
たまゆらに昨日の夕べ見しものを 今日の朝に恋ふべきものか
(萬葉集 十一古今相聞往来歌類)
より銘付けされたそうです。六代目当主、ハイセンス!
琥珀色の中に泳ぐ金箔が、みやび~な感じ。
加賀は是非旅してみたい場所のひとつです。和菓子から想像する限り、並々ならぬ歴史と美意識とが、そこにはきっとあるはず。
もう一つおもしろかったこと。
みなさん、2003〜4年は何の年か知っていますか?そう、トルコ年!
やたらトルコ関係の展覧会やイベント多いですよねー
今日のお茶会は5席あったのですが、その一つがトルコ大使館主催のトルコ茶席でした。
和の世界どっぷりの中で、やたら濃い顔の人々が行き来しているな〜と思ったらそういうわけ。
キンキラキンの民族衣装?みたいなの着てる人もいて、不思議な感じがしました。
茶道は、国際文化交流の場としてよく利用されるので、お茶席に外国人の方がいらっしゃるのはいつものこと。それにしても、闘牛士のようなキラキラベスト、なんともアバンギャルド〜
私たちはお水屋仕事で忙しかったのでトルコ茶席には行けなかったのですが、Turkeyのお兄さんがトルコ茶とトルコ名産のお菓子を持ってきてくれました。
トルコ茶は紅茶と烏龍茶の中間みたいな味。かなり発酵度の高いものでした。お菓子は名産のLOKUM。モチモチしたヌガーっぽいものの中にナッツが入ってます。
苦味の強いお茶に甘ーいお菓子、トルコのお茶文化もやるじゃ〜ん!
もし機会があれば是非トライしてみて下さい。
今朝は4時に起床、支部のお茶会へ。お水屋仕事(裏方)の集合時間は7時、着いたらさっそく力仕事からリハーサルから、と働きバチになる。
今回は支部主催ということで、流派の役員方々が大集合、総勢600人くらいのお客様が入る大規模茶会。
こういう会に必ずつきものなのがお水屋見舞い。つまりは裏方への差し入れです。
次々と○○幹事長から、○○先生から、○○支部からと差し入れがやってくる。
中身はと言えば大勢で食べられる洋菓子がほとんど。
ゴディバのチョコ、TROISGROSのガレット、彩果の宝石フルーツグミ……
など大勢でさくッと頂けるものばかり。
そんなお水屋見舞いの中でも一際注目なのが、○○幹事長から頂いたシュークリーム(どこのかは?)
このお方は東京における、流派の実務側トップ。必ず今日のような大きい茶会には顔を出す。
そして必ず全てのお水屋にシュークリームを配る。毎回。
別所哲也は「ハムの人」、○○幹事長は「シュークリームの人」なのです。
みんな、「あ〜毎度お決まり、シュークリームが届いたよ〜。」なんて言っています。
冷蔵庫もないお水屋に生菓子、ってちょっと不評なんですけどね、幹事長のお心遣いに感謝!
このようにたくさん来る差し入れをお水屋仕事の合間にパクッと頂いているんです、ちょっとお茶会裏話ですね。
でも、そうでもしないと体力が持たない。朝の7時からお昼15時過ぎまで一時も休むことなくお茶をたてたり運んだりしているのです。お昼ごはんもお水屋のすみっこ、交代で10分以内に頂く。
狭い空間で10数名が行き来するのだから、熱気で汗かきかき、みんなの疲労も激しい。
今日の差し入れの中で一番人気は、ある先生お手製のグレープフルーツのブランデー&お砂糖漬け。ほどよい酸っぱさと甘さに、ついつい手がのびる。「ん〜!疲れも癒える!!」
お水屋仕事の人たちを気づかう、温かい心のこもったお手製差し入れは何よりもおいしいのでした。

お茶会は3、4、5月と9、10、11月に集中するため、今の時期は茶道界全体が繁忙期。
今日は25日に迫っている支部主催の大寄せ茶会の最終打ち合わせミーティング。
当日は私たちの支部は立礼(りゅうれいと読みます)の席を担当しています。いわゆるお茶室とは違って、広間にテーブルと椅子を並べて40人くらいのお客様に入っていただく、カジュアルな一席。
招く側の一番のメインテーマは、いかに大人数のお客様を待たせずに、並び順を入れ違うことなくスムーズに御案内するか、につきます。
今回は1回につき40人お客様の入るお茶席を、一日で16回することになっていて、相当ハード。
そこで、多くのお客様に効率良くお茶席へ入ってもらうため、整理券のかわりに金太郎飴を配ることになりました。金太郎飴をひと粒、袋にいれていろんな色のリボンでむすぶ。そのリボンの色によって、お茶席に入るのが何番目かわかるようにする仕組み。最初に受付を済ませた40人にピンクのリボンを渡し、まず1番目にお茶席に入ってもらい、その次入るのが緑のリボンをもっている方々40人、みたいな感じで。
こうすれば、大体の待ち時間もわかるし、仲良し同志で離れずにお茶席へ入れる。
支部のお姉様先輩方はいろいろ工夫されてるんだな〜、と感心してしまいました。
ただ整理券の紙きれを渡されるよりも、季節のお節句を意識した、きれいなリボン付き金太郎飴は場を和やかな雰囲気にするに違いない。
とてもよいアイディア!と思いつつ、黙々と金太郎飴の入った袋、約700個をリボンで結ぶ作業に没頭するのでした。
今日は大先生のもとでお稽古。
5月初旬にいろんな流派がお釜をかける(お茶席をもつという意)大規模なお茶会が護国寺にて開かれます。
護国寺にはいくつもの茶室が点在し、一日のお茶会でたいてい7、8つの茶室が使われる。そのうちの一つを担当することとなった大先生。
ご高齢を理由にしばらくそのような大舞台からは自ら離れていた先生、流派内事情により久々にお釜をかけることとなったようです。
それがせまっていることもあって、今日はそれこそ「さわらぬ神に祟りなし」状態。
ピリピリオーラが放出されており、普段は和やかな会話が行き交うお稽古場もシーンとしている。
お茶席を持つということ。
掛け軸、香合、茶花、花入れ、風炉釜、釜敷き、お棚、水指、茶杓、茶筅、棗(なつめ)、たばこ盆、お菓子、お菓子器………など、まだまだ書き足りないほどあらゆるものをその季節、その茶室の雰囲気にあわせて選ばないといけない。
そして、誰にお点前をさせ、誰にお菓子を運ばせ、誰に半東(お道具をお客様に説明する者。)をさせるか、人の役割分担もとっても重要。
流派を背負ってお茶席を持つからには、失敗はあり得ない。
本当にお茶の先生って大変だなー、と。
でも、あらゆることに気をまわさなければならない分、先生たちはみんなお年より若く見えるし、皆様とても長生きの方が多い。
長生きの秘訣は、お茶のカテキン成分か、懐石料理のようなきちんとした素材をつかったお食事を召されているから、とか考えられますが、一番の秘訣は、その「緊張感」なのではないかな、と思いました。
いやーそれにしても大変なお稽古日でした、無事終わってホッ。
お抹茶と言えば想像するもの、それはカプチーノのような、ふんわり泡立ったものだろう。
この一般的なものが薄茶(うすちゃ)というもの。
この薄茶、流派によって味わいが全く異なります。
裏千家(とその流れを汲んだ諸流派)は上述の通りカプチーノ系ふんわりに泡立てます。
対照的に表千家(とその流れを汲んだ諸流派)はあまり茶筅をふらない、泡立てない。
私はいままで前者のお茶しか頂いたことがなかったので、昨年行った、各流派がそれぞれ席持ちをする護国寺のお茶会で、表さんのお茶を頂いた時には、正直、何か物足りないなぁーーー、と感じたのを覚えてます。
これは好みと、習慣の問題。
どちらが正しいという議論は成立し得ないので、数の勝利、裏千家流のたて方が一般的な薄茶として世間的に認識されているようです。